novel-railwayのブログ

以前投稿した小説記事をこちらでアップしていきます。

餘部橋梁物語、その後 プロローグ

20年ほど前に、余部橋梁物語というお話を書いたことがあり、これはその番外編として、現場作業員である猫尾と、猫尾たち職人がよく利用している戦争未亡人が経営している小料理屋の純愛物語です。
是非とも、ご覧いただければ幸いです。


昭和34年4月16日、1通の少年が知事に出した手紙が発端で餘部橋梁横に念願の駅が出来ました。
行き違いも出来ない、小さな小さなホームだけど地元の人にしてみれば待ちに待った駅でした。
当日は、住民が総出で日の丸の小旗を持って列車が来るのを待っていました。
停車する列車はディゼルエンジンを積んだ気動車と呼ばれる列車のみであり、1日上下合わせて6本しか停車しない・・・それでも地元の人にとっては集落から列車に乗れると言うことはとてもありがたいことだったのです。
あるお婆さんは、朝の3時に家を出て一番列車が到着する到着するのを待ったと言っていました。
実はこのおばぁちゃんも、若い頃にご主人を亡くしており、その後は女手一つで子供を育ててきたと言っており、駅がなかったことによる犠牲者の一人だったのです、お婆さんは両手で旦那さんの写真をもっていました。決して大きな写真ではありませんが、今日の開通の様子を旦那さんに見せてあげたかったのでしょう。
万感の思いを込めて多くの人が集まっていました、そこには知事に手紙を書いた鈴木君の姿や、ガキ大将の二郎の姿もありました。


二郎は、俺たちが駅を作ったんだと少し鼻高々です。


そして、猫尾が懇意にしている飲み屋の女将も日の丸の小旗を持って、列車の到着を今か今かと待っているのでした。
その横には・・・、あれ?
猫尾ではありませんね、男の人が立っていますが・・・ちょっとこれはどうしたことでしょうか。
女将は猫尾に見切りをつけて新しい男性と新しい人生を歩み始めたのでしょうか?


いえいえ、それではお話がこれで終わってしまいますよね。
実は、この男性は女将のいとこで、駅に列車が初めてやってくると言うので鉄道とやらを見に来たのでした。
だって、彼の住む集落には鉄道はおろか未だに電気も届いていなかったのですから。
夜はランプで暮らす、そんな生活をしていたのです。
ちょっと信じられないかもしれませんが、昭和40年代前半頃までは田舎ではまだランプを使っている集落もあったのです。


いとこの名前は孝(たかし)といいました。
孝にしてみれば電気があって箱から音楽が聞こえてくることに驚きを禁じ得ませんでした。


「浩ちゃん(女将の名前は浩子なのですが、孝はむかしから浩ちゃんと呼ぶのでした。)、この箱は何なの、声がするけど。」


 「ああ、それはラジオというのよ。」


女将にしてみれば当たり前のものでも、孝にしてみればすべてが初めてです。
そんな孝ですから、迷子になっては大変と思って、女将が孝と一緒に列車を待っていたのです。


やがて餘部の橋梁のほうから音がして列車が近づいてくるのが判ります。
今まででしたら、ただただ見送るだけの汽車、それがいよいよ新しくできたこの餘部駅に停車するのです。
住民の期待はいやがうえにも高まってくるのでした。


先ほどのお婆ちゃんは写真を両手で握ったままじっと列車が来るのを今か今かと待ち受けています。
また、あるお婆ちゃんは手を合わせて「ありがたい・ありがたい」と呪文のように何度も何度も呟いています。

時刻は7:41 鎧方面から餘部橋梁を渡って来た列車は村人たちが待ち受ける中で静かに滑り込み停車したのでした。
歓迎式典は昼に到着する列車で行われる予定ですので特に歓迎行事もなく少しだけの地元の人を乗せて浜坂に向かって出発していくのでした。


軽いタイフォンの音ともに出発したキハ10形気動車は走り去っていったのでした。
お終い・・・


じゃないって。  これから始まりなの。


というわけで、女将と猫尾の物語いよいよ始まりでございます。


いつもはすれ違いばかりの二人ですが、今回は神様がちょっとした悪戯を仕掛けたようです。
その辺のお話は、また来週以降にさせていただこうと思います。(^^♪


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特急つばめ 愛の臨時停車顛末記 5

特急つばめは、1分の臨時停車の後、再び加速していきます。
四分半後には「臨時特急さくら」が追いかけていますので、後続の列車にまで遅れを出すわけにはいきません。


私は、自らの意思で列車を止めたという事実を今一度思い返していました。


大変なことをしてしまった。自らの意思で、病人への救護措置とはいえ、特急列車を止めてしまったという悔悟の念が大きく頭をもたげました。



おそらく帰区してから助役・区長からの事情聴取があるだろう、厳しく叱責を受けること、もしかしたら、始末書を出さざるを得ないであろう、そんなことが頭によぎります。
しかし、自分は少女のためにという純粋な気持ちからの行動であり、例え叱責されても始末書を出して処分を受けたとしてもそれは甘んじて受け入れようと心に決めたのでした。
不思議と、そう覚悟を決めると今まで重くのしかかっていた不安が一気に解消していくのが感じられ、一気に疲れが出てきたように感じたのです。


その後は、しばし、専務車掌室の中で放心状態になってしまいましたのでした。
時計を見ると13:50、外を見るとちょうど熱田駅の駅名標がちらっと見えました。
 「良かった、列車は、遅れを取り戻したようだ。」


私は独り言を呟くと、名古屋到着の案内を始めるのでした。


名古屋には、14:00定時到着、ここで機関車はEF58からC62に交換されることになります。
EF58型機関車が切り離され、引き揚げ線に逃げると、C62のテンダが近づいてきます。
客車の5m程手前で一旦停車、誘導掛の緑の旗を頼りに機関士は徐々に機関車を客車に近づいてきます。


私は、車掌室の窓から機関車連結の様子を見守っていました。
連結作業は、機関士の技量が試される瞬間です。
出来るだけショックを与えずに連結するわけです、誘導掛の緑の旗が赤い旗に替わって機関車は静かに連結されました。
軽いショックが伝わってきたものの、あれ?という程度であり、安定した連結作業でした。
おそらく、前方では駅手による給水や炭庫の整理などが行われていることでしょう。


やがて5分の停車時間は過ぎて、発車ベルが大きな音でホーム全体に響き渡っています。


駅の売り子も。あと一つ、もう一つと、乗客に弁当を売っていきます、ベルが鳴り止み、駅長の発車合図と共に、汽笛一声、特急つばめ号は大阪に向かって動き出したのでした。


現在の新幹線などと比較すれば本当にゆっくりとした亀の歩みであり、弁当の売り子もここが腕の見せ所と小走りに走りながら弁当を売っていく姿も見えます。


ホームでは、見送り人の姿も幾人か見えました。


駅長との敬礼を交わした後は、後方の運転車掌に任務を任せ、私は案内放送に入るのでした。


お待たせいたしました、特急つばめ号、大阪行きです。


途中止まります駅は、岐阜、米原、京都、終点大阪の順でございます。


到着時刻は、岐阜14:30、米原15:22、京都16:21、終着大阪には、17:00ちょうどの到着を予定しています。


次は、岐阜、岐阜に停車いたします。


列車は、稲沢の操車場を見ながら走っていくのでした。何事もなく14:30には岐阜に到着、駅では助役が走り寄ってきました。


「蒲郡駅での少女の件ですが」という、


私はとっさに、どうだったのですかと聞き返しますと、
措置が早かったので、貴子ちゃんは快方に向かったとのこと。


急性の中毒症であり、措置がもう少し遅ければ命に関わっていたこと、4・5日も入院すれば退院できるであろと、蒲郡の駅から連絡があったと知らされました。


私は、「良かった。本当に良かった」


そう心から思いながら、岐阜駅を発車後に、以下のような案内放送をしたのでした。


「特急つばめ号にご乗車の皆様、先ほど停車の岐阜駅で、蒲郡駅で急病のため臨時停車した少女の件で連絡がありました。皆様にはご迷惑をおかけいたしましたが、あの臨時停車のおかげで、措置が早くできたことから、一命は取り留めたとのことでした。


改めて皆様には途中停車のお詫びを申し上げると共に、皆様のご協力のおかげで、一人に少女の命を救えたことを心より感謝いたします。ただいま、列車は定刻で運転しております。」


と放送を締めくくったのでした。


私の心には、いかなる処分を今後受けようとも、少女の命を救ったという思いを胸にして、どんな処分でも甘んじて受け入れようと改めて思ったのでした。



終わり



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特急つばめ 愛の臨時停車顛末記 4

私は、先ほどの親子に今一度会いに行くと、二人を特ロ【現在のグリーン車】に案内して、少しシートを倒して少しでも楽な姿勢になるようにするとともに、車掌室に戻り、マイクでお医者さんが乗り合わせていないか声をかけてみるのですが、あいにく乗っていませんでした。
そこで、途中駅での停車をと思い、前述の通り黒田運転車掌と打ち合わせの上、蒲郡に列車を止めようとしたわけです。


早速、運転車掌の黒田君が通報依頼書に臨時停車の旨を書いて、通過する西小坂井駅ホームの助役にマッチ箱程の大きさの通信筒に依頼書を入れて投げてくれたのでした。
私も通過監視しながら見ていますと、フルスピードで通過する駅から投げられた通信筒は列車が通過することで巻き起こる風に翻弄されながら、ホームをコロコロと転がっていくのが見えました。そして、列車から投げられた通信筒を拾いに近づく助役さんの姿は徐々に小さくなるものの見えていました。
現在であれば列車無線を使って列車指令と直接やりとりできますが、当時はそのような事は出来ませんので、西小坂井駅長の善処を信じるしかありませんでした。
もしかしたら・・・そんな一抹の不安が頭をよぎります。
私は再び車掌室にもどるとマイクを持って、この列車は蒲郡駅に臨時停車する旨を案内しました。
少女、貴子ちゃんは苦しそうに、堅く目を閉ざして苦しそうな呼吸を続けています。
私は、お母さんに
「先ほどマイクでも放送しましたが、蒲郡駅で臨時停車させて、病院に入れてあげますから」
と言うのですが、正直、一抹の不安は残っていました。
万一、蒲郡駅の場内信号機が進行出所定の速度で通過しようとしたら非常制動をかけてでも列車を停止させようと心に決めたのでした。


愛知御津、三河三谷と列車は瞬く間に通過し、次はいよいよ蒲郡でした。
私はいても立ってもいられなくなり、デッキに出てドアを開けたのでした。
列車は依然フルスピードで走り続けています。
ああ、ダメかもしれない、やはり非常制動しか無いのか・・・そう思った矢先でした・
ググッとブレーキがかかったのでした、私は思わず体を乗り出します。
列車のスピードはどんどん速度を落とし、蒲郡駅のホームが眼前に迫ってきます。
駅員がホームにリヤカーをおいて待機してくれています。
列車は無事蒲郡駅に臨時停車したのです。


私は胸に熱いものがこみ上げてくるのを押さえながら。給仕にお願いして貴子ちゃんを抱っこして列車から降ろしてもらったのです。
この列車の後には4分半後に「臨時特急さくら」が迫っており、時間的にはかなり厳しいのですが、幸いなことに1分の臨時停車で蒲郡を再び出発、臨時停車の遅れを取り戻すべくぐんぐんとスピードを上げていきます。
と言っても、今の電車のような加速ではないので、ゆっくりとしたものですが・・・。
貴子ちゃんを乗せたリヤカーは駅員に引かれて移動していきました。
駅前には既に救急車が待機しているのでしょう。
列車に向かって何度も頭を下げてお礼を言うお母さんの姿が見えました。


続く、


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