前回、草木も眠る丑三つ時にうとうとしてしまった白根ですが、ふと窓から入ってくる磯のにおいが白根を更に夢の世界に誘うのでした。
顔はよく判らないのですが、まだ見ぬ素敵な彼女と浜辺を走っている夢でした。
そんな楽しい夢を破るように、野太い声が聞こえます。
「おい、なに寝てるんだ。」
「○○さん。」
夢の中で白根が遊んでいた女性の名前を呼びます。
「なに、寝ぼけてるんだ、仕事中に寝る奴がないだろう。」
その声に目がさめて我に返る白根
「すみません、寝てしまいました。」
「まぁ、いいさ。この時間帯は一番眠いだろうしな。」
汽車は、湯川駅に停車しているところでした。駅のすぐ前が海水浴場で夏場は海水浴客で大変にぎわうところです。
浜辺からの潮風がなんとも快適です。
空は、段々と白み始め紫にたなびく雲がかすかに東に空に見えてきます。
「朝はこんなに綺麗だったんだ。」
白根は思わず口ずさみました。
「幻想的な景色だろう。夜行列車乗務の醍醐味はこれだよな。」
「特に夏場は比較的早い時間に夜が明けるから気持ちがいいものさ。」
涌井が、白根に話し掛けます。
「はい、こんな綺麗な朝の風景を見たことはないです。」
夜汽車というのは不思議な乗り物だと思うよ。
「夜から朝にかけて走る列車というだけでなく、多くの人の絶望と希望を乗せて走っているのさ。」
「夜は必ず朝になる、明けない朝はないんだから。そして夜もまた必ずやって来る。
そして、夜行列車に乗る人は色々さまざまな理由がある、事業に失敗して逃げるように帰る人、親族の訃報に接して取り急ぎ持つものも持たず帰郷する人、そしてまだ見ぬ許婚に胸を膨らませて向かう人。
そんな多くの人生を乗せて、夜行列車は走りつづけている。
もちろん、窃盗犯のように招かざる客も時にはいるがそういった輩を取り締まり、多くの人たちの安心と安全を届けるのが公安官の使命なんだ。」
涌井は、白根に諭すように言葉を選びながら話し掛けるのでした。
そうか、公安官の仕事もお客様を安全・快適な旅を続けるにはとても大切なことなのだと改めて思い起こしたのでした。
気がつくと、朝の太陽はもうすっかり上がってきて青空も見えてきました。
朝風が、小さな車掌室の窓から入ってきます。
「今日もいい天気になりそうだ。」
涌井が声をかけます。
「はい、先輩ありがとうございました。」
「おいおい、まだ乗務は終わっていないで。」
涌井が笑いながら答えます。
「いえ、そんなつもりで・・・」
白根は慌てて打ち消すように話し掛けます。
涌井は何も言わず微笑んでいるだけでした。
長いようで短かった初乗務もまもなく終わりを告げようとしていました。
白根にとっては長い公安官人生の始まりの一夜でした。
ということで、一先ず公安官物語、この辺でおしまいとさせていただきます。
ありがとうございました。