novel-railwayのブログ

以前投稿した小説記事をこちらでアップしていきます。

特急つばめ 愛の臨時停車顛末記

久々に、妄想小説などを書かせていただこうと思います。
今回のお話は、昭和31年1月10日に、「特急つばめ」車内で症状がひどくなった少女のために臨時停車手配を行った車掌氏の手記を参考に妄想力全開で書かせていただくものです。


東京から乗車した少女の容体が急変、車掌の機転で、蒲郡駅で臨時停車させるて病院に搬送することが出来たとして、後日新聞にも「愛の臨時停車」として美談が載ったというお話なのですが、当たり前のことをしただけなのに、これを美談として取り上げられることに多少の違和感を持ってしまったということで、当時の手記が書かれていました。
この記事はその内容をベースに創作したお話になります。


何回かに分けて書かせていただこうと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
なお、あくまでも妄想物語なので、登場人物はすべて仮名とさせていただきます。m(_ _)m


初めまして、私は大阪車掌区の勤務する中村というものです。
私は、15歳で大阪鉄道管理局に採用され、大阪城東線の京橋駅を振り出しに、車掌試験を受験、特急つばめが運転を開始してから3年後の昭和28年から、専務車掌として乗務することになりました。
当時の列車には、専務車掌である私の他に、後方の監視を担当業務とする運転車掌や、つばめガールに代表される列車給仕など、多くのスタッフも乗務していました。


さて、当日の話は後ほどお話しさせていただくとして、特急つばめのお話を最初にさせていただこうと思います。


特急「つばめ」は戦前は超特急として、東京から東海道本線の終点である神戸まで運転されていました。
当時は特急「燕」と漢字で書かれており、客車並びに列車はここからもう少し先の明石に機関区並びに客車区がありましたので、そこまで回送されることとなっていました。
戦後は、外国への船客も減ったことから東京~大阪間に運転区間が短縮されましたが、列車の受け持ちは引き続き、大阪鉄道管理局が受け持つこととなり、国鉄の伝統列車で有る「つばめ」号を引き続き大阪で、それも大阪車掌区が受け持つことは、とても誇りに思えたもので有り、私以外の多くの車掌も同様に誇りを持って日本一の列車を運転しているんだという自負はありました。
私たちは最高の車両で、最高のサービスを提供することを合い言葉に行動していました。


さて、この日も私は前日の「つばめ」に乗務して上京、乗務員宿泊所で休息し、翌日の「つばめ」で帰阪する行路となっていました。
当時は特急と言える列車は、この「つばめ」と「さくら」、それと山陽本線の「かもめ」だけで有り、特急列車自体が特別な列車で有りますから、先ほども書きましたが、客車を受け持つ宮原客車区は言うに及ばず、私たちが所属する大阪車掌区、そして宮原機関区でも特急乗車組は憧れを持って見られていたものでした。


当日は、7:00に宿泊所を出発、7:30には制服に着替えて点呼を受けることとなっていました。
東京車掌区での点呼はいつもの事ながら緊張します。
言ってみれば親戚の家に来たようなものですから。
点呼を終えて品川客車区でつばめに乗り込み、運転車掌の黒田君も乗務してくる。
その後、列車給仕のつばめガールも乗務、簡単に打ち合わせを行い。移動を待つことに、時計が8:20分を示す頃、列車は静かに動き出し、東京駅へ、展望車の先頭に機関車が付くのはこの区間だけに見られる不思議な光景と言えましょう。


当時は、大阪では塚本からのデルタ線を使って方向転換していましたが、東京でもで品川駅から大崎駅を使ってのデルタ線で客車全体の方向転換が行われていました。


そして、当時は始発駅で30分程度停車するのは当たり前で有り、9:00出発の「つばめ」号は8:33には、東京駅到着、すぐに機関車は先頭車に回すため切り離されて、横の機回し線と呼ばれる線路をすり抜けて先頭の荷物車に連結、既に荷物車では手荷物の搬入なども行われており、ホームでは別れの挨拶が行われているのでした。


客車は先頭大阪方から。スハニ35+スハ44+スハ44+スハ44+スロ60+スロ60+マシ35+スロ60+スロ60+スロ60+マイテ39という編成で、定員は3等車が定員288名【1両あたりの定員は80名】2等車は定員220名【1両あたり44人】であり、いかに当時の3等車【普通車】が詰め込みであったか判ります。【ちなみに、3等寝台車は定員60人、その後増備された車両は54人】とこれまた、詰め込み主義的な乗り物で、現在の水準では考えられないほど窮屈な代物でした。


さて、9:00発車ベルが東京駅ホームに鳴り響き、運転主任の発車合図を待って、EF58からの甲高い汽笛がホームに響き渡ると徐々に徐々に汽車はスピードを上げて動き出すのでした。
私は、8号車の2等車から顔を出してホームの監視を行います。
後方では、同じく運転車掌の黒田君が乗ってくれています。黒田君は大阪車掌区ではありませんが、機転の利く好青年ですので、やがては専務車掌として頑張ってくれることを密かに期待しているのです。
ちらっと、後ろを見てみると、真剣なまなざしで後方からホームを見つめています。
さて、列車がホームを離れると、案内放送も私の重要な仕事ですので、車内の案内と停車駅の到着時刻などを放送していくのでした。


その後、車内改札を行うのですが、このときは未だ、これから4時間程後におこる騒動など夢にも思わないのでした。

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